「学ぶ」ということ

高校時代、数学の先生に「答えを写したノートはわかるか」と聞いたことがある。その先生は「わかるが、考えながら答えを写すことには意味があるからちゃんと受け取る」と言った。

少し前から絵を描き始めた。実際にやってみるとなかなかどうしてうまくいかない。絵の上達方法を調べてみると、やたらと模写しろ模写しろと言われる。

学ぶということの1歩目は、真似をすることなのかもしれない。

たとえば数学の勉強をしようとして、教科書を開く。はじめは理解できないだろう。問題集を解こうとしても、手が動かないかもしれない。

たとえば絵を描こうとして実際に手を動かしてみると、自分の下手さに驚愕するだろう。参考書を買って読んでみても、なかなか身につかないかもしれない。

たとえばピアノを弾こうとして実際に弾いてみると、手がまったく動かないことに気づくだろう。試しにハノンから始めてみても、うまくならないかもしれない。

誰も最初から秋山仁のように数学はできないし、和泉つばすのように絵は描けないし、天野こずえのように漫画は描けないし、クラウディオ・アラウのように演奏はできないし、佐藤直之のように曲は書けないし、朝井リョウのように小説は書けないし、紫舟のように字は書けない。

それどころか彼らを真似することすらできないだろう。

真似ることには意味がある。真似るのは難しい。考えながら真似ることで自分の力になる。

最初は東大物理の問題を解くことはできなかった。それどころか名問の森でも苦戦した。解答を読みこみ、写し、考え、そうしていくうちに、だんだん解けるようになっていく。

最初はプログラムを書くことはできなかった。素数を並べるプログラムだって書けなかった。初歩の参考書を読みこみ、写して動かし、考え、そうしていくうちに、だんだん思い通りのプログラムが書けるようになっていく。

最初は曲を書くことはできなかった。適当なメロディーを作るのでさえできなかった。いろいろな曲を聞き、分析し、考え、そうしていくうちに、だんだん自分のメロディーを紡げるようになっていく。

物理も数学も国語もプログラミングも同じだ。書道だって同じだし、絵だって同じだし、音楽だって同じだと思う。真似ることだけでは自分で解けるようにはならないけれど、真似ることは必ず大きな一歩になる。

何もできないなら、まずは真似をしよう。真似をしようとしてみよう。そして分析するんだ。考えるんだ。

解答を写すと先生に怒られるかもしれない。模写をツイッターにあげると「そんなの誰だってできるじゃん」と叩かれるかもしれない。曲をSoundCloudに投稿したら「あの曲に似てるじゃん」と言われるかもしれない。そうではないのである。いや、そうかもしれないが、そうではないのである。

そういうバカには自信をもってこう言えばいいのである。「学ぶということは、真似るということだ」と。

真似ることをためらってはいけない。真似よう。真似をしようとしよう。そして強くなろう。理想への階段を11段登っていこう。


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